園遊舎主人・・・青木宏一郎・・・・・・・・・・・・・・ブログ 連絡先

江戸の物見遊山
環境緑化新聞第787号掲載
「物見遊山」と言う言葉、最近はあまり聞くことが少ない。二十一世紀になると、若い人には通じないことが多く、そのうち「死語」になるのではなかろうか。
 そこで辞書を引くと、「気晴らしに見物や遊びに出かけること」、「見物して歩くこと」などとある。その使い方は、気軽に遊覧や行楽をすることで、「漫遊(気の向くままに訪ねまわる)」と同じようである。さらには、「物見遊山に来たのではない」などと、否定的な印象を与えることが少なくない。
 物見遊山は、「物見」と「遊山」からなる四字熟語である。この言葉は、わかっているような気がするものの、実は曖昧な言葉である。そこで、それぞれの語源に分けて見る必要がある。 「物見」とは、戦国時代には、探査や監視する意味に使われていた。それが、見物・見学などの意味も加わり、今日にいたっている。
 「遊山」は、その読み方で意味が異なるとされ、「ゆうざん」と読めば、野山で遊ぶことであり、「ゆさん」と読めば、行楽することを指すらしい。なお、遊山は禅宗の言葉で仏教語とされ、山(寺)から山(寺)へと修行遍歴する旅(自由に歩き回る)を語源とされている。
 この物見と遊山を合わせた四字熟語、物見遊山はさらに曖昧になっている。しかし、物見遊山の初見を探すと、『虎寛本狂言・茫々頭(室町末‐近世初)』に、「天下治り、めでたい御代で御座れば、物見遊山のと申て、都は殊之外賑な事で御ざる」とある。諸説あるものの、物見遊山が定着したのは江戸時代とされている。
 物見遊山が江戸庶民に広く浸透するのは、十九世紀に入ってからである。文化元年(1804年)に向島百花園が開園しているように、物見遊山の気運はそれより先に高まっていた。庶民の要望を受けるように、『東都近郊図(文政八年1825年)が刊行される。その二年後、『東都花暦名所案内』(文政十年1827年)が、花暦一覧を加えて刊行される。そして、『江戸名所図絵』(天保五年1834年・天保七年1836年)が江戸近郊を含めての名所を、挿絵とコメントを入れて刊行した。
 庶民が遊びに熱中し始めるのは、それよりもう少し早い十八世紀後期からだろう。その証拠として、江戸で生まれた人が、「江戸言葉」という独自の言葉を使い、京・大坂とは趣の違う都市生活を営むようになった。それを反映するのが、「江戸っ子」という、自らの自負から生まれた言葉である。「江戸っ子」という言葉が川柳に登場したのは明和八年(1771年)のことで、その背景には自分たちが江戸に暮らす住民の主役だと自負し始めたからであろう。
 それまでの庶民の遊びといえば、武士たちがやっていることを真似するというパターンが多かった。舟遊びや花火、吉原や歌舞伎にしても当初は、武士が圧倒的に多かった。武士の遊びに憧れて、町人が次々に参入。やがて金の力にまかせて、自分たちの楽しみにした。
 それが十八世紀半ばになると、町人、それも下層庶民がおもしろがる見世物や遊びが次々に登場した。たとえば、女相撲、達磨男の曲芸、熊女、一寸法師など一種いかがわしい見世物の見物、茶屋で評判の娘をからかったりと、まともな武士は、内心では興味があっても敬遠するようなものである。
 安永年間(1772〜81年)に入ると、庶民の好奇心はさらに高まり、見世物や開帳などを求めて歩き回るようになった。また、花見や歳の市などの活動も活発になった。このように、十八世紀後半には庶民に、物見遊山に出かける下地が徐々に育まれていた。
 江戸の物見遊山は、安永年間あたりから活発になっていくようだ。そんな江戸の町中を率先して歩き回っていたのが、六義園に住む柳沢信鴻である。彼は、日記(宴遊日記)に出かけた場所と共に、庶民の遊ぶ姿をしっかりと記録している。
ランドスケープ・ガーディナー     自然を身近に
             現在庭に咲いている野草                                                                                          
略    歴 1945年新潟県柏崎市生
千葉大学園芸学部造園学科卒業
森林都市研究室設立
ランドスケープ・ガーディナーとして、地域計画、造園計画・設計、等の業務を行う
東京大学・三重大学・千葉大学で緑地学やレクリエーション論等の非常勤講師を勤める
現在  和のガーデニング学会会長
主な経歴 青森県弘前市弘前城跡三の丸(弘前公園)の基本計画・設計
青森県弘前市富田の清水御膳水等の改修設計
福島県下郷町景観整備などの調査・計画・設計
福島県三島町美坂高原計画
福島県猫魔スキー場開設調査計画
福島県郡山市逢瀬公園設計
長野県野沢温泉村スキー場整備計画・設計
群馬県鬼石町浄法寺農村公園(ハーブ公園)設計
島根県津和野町森鴎外記念館・旧宅修景設計
主な著書 江戸庶民の楽しみ』中央公論新社    
幕末維新・江戸庶民の楽しみ』(中公文庫)中央公論新社
明治東京庶民の楽しみ』中央公論新社
大正ロマン東京人の楽しみ』中央公論新社
軍国昭和東京庶民の楽しみ』中央公論新社
江戸の園芸(ちくま新書)』筑摩書房      
江戸のガーデニング(コロナブックス)』平凡社
自然保護のガーデニング(中公新書ラクレ)』中央公論新社
鴎外の花暦』養賢堂
『江戸時代の自然』都市文化社          
『森に蘇る日本文化』三一書房
『スキーリゾートの計画』地球社            
『地域活性化レクリエーション施設』綜合ユニコム      
『公園の利用』地球社                      
『まちがいだらけの公園づくり』都市文化社
『解読花壇綱目』創森社  
講演テーマ 和のガーデニング」・「江戸のガーデニング
江戸時代の園芸と桜」・「「浜庭の楽しみ方
大名庭園と園芸」・「日本庭園から学ぶ
「鴎外関連」
調査・論文 自然教育園
公園の利用変動に関する研究:都市公園の利用変動を季節による3区分の提案
公園緑地の種類と周辺条件による誘致率の変化に関する研究:都内6公園における調査分析結果より
緑地における混雑感の測定方法
小石川後楽園の利用容量の試算
江戸時代の自然共生社