ガーデニング関連著書の書評と紹介
★2002.8.2 週刊朝日 新書漂流29 永江朗 環境保護とガーデニング。対照的なイメージである。清く正しくストイックな環境保護運動。一 方のガーデニングはといえば、昔の流行語を使うとプチブル的。「自分のうちの庭(だけ)をき れいにしたい」などという、エゴイスティックで保守的な流行と思われがちだ。 ところが、自然を意識するなんてことは衣食足りてはじめて可能なのであり、自然保護は生 活に余裕がなくてはできないよ、と主張するのが青木宏一郎『・自然保護のガーデニング・』で ある。ガーデニングには、自分の環境は自分でなんとかする、樹木や草花に具体的な関心を 持つ、という効果がある。 自然を大切に、と人は簡単にいうけれども、よく考えると難しい。そもそも自然とは何かがわ からない。極端な人は、人間の手が少しでも入ったものは人工だという。植林された森も、整 備された公園も自然ではないことになる。しかし、手つかずのものだけが正しい自然だというな ら、もっとも徹底した自然保護とは人類を一日でも早く滅亡させることである。反対に、人間も また自然の一部だと考えるなら、人間のさまざまな活動もまた自然のひとつということになる。 すると、自然破壊もまた自然である、なんて倒錯した話にだってなりかねない。 ごちゃごちゃ抽象的なことを言ってないで、まずは日常的に動植物に触れてみなさい。生活 の中に自然が入り込めば、自然保護に対する感覚もまた変わってくるから。本書がいっている のはそういうことだ。 日常的に具体的な自然に触れていない人が、抽象的に自然保護を考えた揚合は危険であ る。本書第四章「自然保護にも構造改革が必要」には、過去の自然保護運動の失敗や問題が 紹介されている。だれか悪意を持った人がいたから失敗したのではなく、誰もが善意で、ただ しあまりにストイックで抽象的にやろうとしたので悲惨なことになったのである。何ごともある程 度のいいかげんさが肝心だ。 ★2002年(平成14年)6月30日 毎日新聞朝刊 本と出会う・・批評と紹介 ・自然は人がつくる・ 「自然保護」という言葉をひところより聞かなくなったのは単なる気のせいでしょうか。日本 の風土にすっかり根付いたわけでもなさそうだし……。 『自然保護のガーデニング』(青木宏一郎著、中公新書ラクレ・760円)は、自然保護運動が 広がっていないとみています。その理由が刺激的で、ズバリ「楽しくないからである」。「価値あ る自然だから大切に」といった啓蒙調にも、学校による泊まり込みの自然−保護教育にも、著 者は懐疑的です。遠くの第一級の自然破壊を心配するより、自宅の庭やベランダの自然をめ でること。つまり、ガーデニングこそが自然保護の第一歩であり奥義でもある、と主張します。 根底には「自然はそこにあるものではなく、人がつくり管理するもの」という一貫した確信があ ります。「人も自然の一部」とする観点からは「傲慢!」としかられそうです。でも、日本の生態 系といわれるものなんと多くの部分が人に管理されてきたのか、その実態が江戸時代以降の 豊富な事例で示されると、実に説得力のある論理展開だと思えてくるのです。(和)
★1999.平成11年5月19日 ゲンダイ GRAPHIC ・将軍から長屋住まいの庶民までが園芸に熱狂・ ガーデニングはブームの域を超え、すっか日本に定着した感がある。ところが、この日本人 の園芸好きのルーツを探ると、どうやら江戸時代にまでさかのぼるらしい。 本書は、園芸に熱狂した江戸の人々の暮らしを浮世絵とエッセーで再現するビジュアル・ガ イドブック。 そもそも、将軍・家康からして無類の花好きだったという。家督を秀忠に譲り隠居生活に入っ た家康は、さっそく二の丸下の「御花畠」の手入れにとりかかった。これが江戸の園芸の出発 点だ。 大名や旗本は、広い庭を利用してそれぞれに趣向を凝らした庭造りを楽しんだ。中には、桜 や梅だけにこだわり、自庭の植物の案内書まで出すほどの旗本もいたという。また、家督を継 げない旗本の二男、三男たちにとっては、鉢植えづくりが格好のアルバイトになっていたらし い。文化・文政年間には、橘(たちばな)や万年青(おもと)など金成樹(かねのなるき)と称され る植物を中心に、鉢植えが投機の対象にまでなり、一種のバブル現象まで引き起こす。ひとつ の鉢植えに50両100両の高値がついたというから驚きだ。 バブルとは縁遠い庶民も、狭い住居の尺寸のすき間を利用し、縁日の露店や行商から買っ た鉢植えを大切に育て、楽しんでいた。著者が「世界中を見渡しても当時、日本人ほど園芸を 楽しんでいた民族は他に見当たらない」というほど、江戸の人々は上は将軍から下は長屋住 まいの庶民まで園芸に夢中になっていた。 歌川国貞や谷文晃らの作品からは、鉢植えを売る縁日の様子や、大輸菊の輸台作りなどへ 当時の園芸風俗が垣間見えてくる。(平凡社 1524円) ★1999.平成11年5月2日 毎日新聞 余祿 ▲幕末、スイス領事として赴任したルドルフ・リンダウもこう証言している。「数多くの公園や庭 園が江戸を埋め尽くしているので、遠くから見ると、無限に広がる.一つの公園の感を与えてく れる。いたるところ、林として並木として、植えられた木立に気付く」 ▲英国の園芸家ロバート・フォーチェンの証言。「日本人の国民性のいちじるしい特色は、下 層階級でもみな生来の花好きであるということだ。もし花を愛する国民性が人間の文化生活の 高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人々は英国の同じ階級の人たちにくらべると、 ずっと優ってみえる」 ▲外国人の評価は青木宏一郎さんの「江戸のガーデニング」(平凡社)で知った。近ごろ、外国 から輸入されたガーデニングが日本で流行している。江戸時代の日本人はガーデニングという 言葉こそなかったものの、園芸を愛すことではどこにもひけをとらなかった ▲家督を息子の秀忠に譲り、隠居生活に入った徳川家康は、専門家を招いて二の丸下のお 花畑で花の栽培をはじめた。二代将軍秀忠はツバキに目がなかった。こうして家康親子が江 戸の園芸ブームに火をつける導火線になったらしい。東京で豪勢な大建築に目のない知事が いたが、緑が好きという知事は聞いたことがない。
★1998.平成10年3月12日 週刊新潮 いまから三百年前の元禄時代、江戸はすでに人口百万を超え、世界でも 有数の巨大都市 となっていた。しかし、武蔵野台地の東端に位置する江戸は同時に、数百の庭園、屋敷林を有 し、池沼に富んだ、豊かな緑と水に恵まれた森林都市でもあった。三代将軍家光は板橋で鹿 狩を行なっていたし、歴代の将軍も江戸城から遠くない高田馬場の「御留山」と称する立入り 禁止の狩猟場で、鷹狩をすることができた。一方、旗本の若隠居や、御家人、僧侶などの有閑 層は、園芸植物の栽培に熱中し、町人は春の花見や夏の花火、折々の寺社の祭礼などを窮 屈な都市生活の気晴らしとして楽しんでいた。これらの娯楽のなかから生れたのが現在につな がる「粋」や「通」などの洗練された感覚であり、「風流」という日本独自の文化だった。本書は 朝顔、万年青、菖蒲、菊など、さまざまな観賞植物がもてはやされた江戸の園芸史から説き起 し、江戸という都会の中で、自然と共生した人々の生活を描きだす。現代人の生活の古層に 埋もれいる自然観を掘り起してくれる一冊である。〔筑摩書房・六六〇円〕 ★1998.平成10年4月19日 信濃毎日新聞 ・「緑の都市」生んだ文化的欲求・ 桜の季節である。 私の勤めている大学も、正門から樹齢の高い桜並木が続いていて、見事である。シーズンに は近隣の人々に開放するので、日ごろの雰囲気とは異なる老若男女の楽しげなざわめきが、 キヤンパスの一角を占める。しかし、夜ともなれば、昼間のうきうきした雰囲気とはうって変わ リ、闇(ヤミ)に浮かぶ薄桃色の花弁の群は何かしら人の心の深奥に潜むまがまがしさきものの 精霊のようにも思われる。古くから日本には桜を題材とした名作が数多く生まれているが、そ れは桜のもつこの両義性によるのだろう。 一方秋といえば、私が小さいころは、よく菊人形の見世物やらコンテストやらを見かけたもの だった。多様な品種の菊の花弁を組み合わせて作られた人形たちには、そのあたかも生きて 動き出しそうな細工の見事さに感嘆するとともに、(ことに一部が枯れかけてくると)「死」が背 後かぢ覗(のぞ゙)いているような恐ろしさを幼心に感じたものだ。 それにしても、東京には、意外に緑が多いように感じる。それは、よく知られているように、上 述のようなへ園芸や自然を楽しむことが大衆レベルにまで広く浸透したのが江戸期であったこ とと関係がある。というのが本書の主題の一つである。 ではなぜ、江戸期に花見や園芸が大衆化したのか。本書によれば、第一の理由は幕府が産 業の振興策として、また医療用として植物に強い関心を示したことだ。げれども、第二の理由 は大衆が禁制に触れないで自己表現の手段とすることができた賞翫(しょうがん)の対象であ ったからだという。つまり、町人の経済力が高まるにつれ、町人たちの文化的欲求も高まってく る。が、衣裳や装飾品、芸術などに対しては、幕府が厳しい奢侈(しゃし)取り締まリの目を光ら せていた。しかし、園芸や花見などにはこうした禁制はなく、町民たちの文化的エネルギーが 植物の賞翫に集中したというのである。 その結果、植物に高い値段が付けられ、専門家が登場し、流行の波があり、投機の対象と なってバブル現象を招くような状況も生まれた。(そういえば、ヨーロッパでもチューリップの球 根がバブル現象を起こしたことがあった)。 ここが興味深い。江戸の人々は決して「自然環境保護」などといったことを考慮したわけでは なかった。彼らが熱中したのは、植物に人工の手を加え、独自の美しさを創造することだった のである。(あわよくば、経済的利潤も)にもかかわらず、あるいはそれによってかえって、当時 の江戸は世界でも屈指の「緑の都市」となった。 今日、自然破壊の危機が叫ばれ、環境保護についてひとびとが真剣に取り組んでいる。そ れは無論重要なことだが、同時に、自然を「保護の対象」として見るのではなく、江戸の園芸文 化のように「自然と文化の一体化」を考えるのも、ーつの方向ではないだろうか。(遠藤薫)
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